近藤裕希のページ
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オルファルリアの林檎
どうやら、本当に今年の夏は過ぎ去ってしまったようだ。クリケは猪の面の騎士と共に悲しみの象ボルンウァッドの許を訪れた頃の髪の毛がチリチリと燃え上がるようなあの茹だるような暑さが、つい一月程前のことにすぎないのに、急に懐かしくなった。ツウォルンにその憂鬱を打ち明けてみると、「若者くんはいつだってオセンチだな。こっちが恥ずかしくって兎の穴に潜り込みたくならぁ」と言ってケラケラと笑って済ませてしまった。
オルファルリアはというと、相変わらず、意外とクロノスの秋風も捨てたものではないやら、私の行くところ全てが風光明媚だなあ、などとどうでも良い話を誰に言うでもなくペラペラと喋っていた。最近、クリケも考えたいことが心の中に色々と湧いて来ていて、そうしたオルファルリアのお喋りに神経が削がれる事を疎ましく感じる時がある。時折、出会った頃に比べてオルファルリアが無神経になったように感じられるのだ。第一印象がとびっきり優れた魔法使いだったのに、これでは只の放蕩者ではなかろうか、と思ったりもする。
しかし、世の中とはなんと退屈なところなのだろう。クリケは豊かとはとても言えないクロノスの大平原の単調な景色を馬に揺られつつ、漫然と眺めながら思った。思わず、あくびが出る。ツォルンは鼻歌まじりで上機嫌そうだが。
この日も陽が傾き始め、情景がレンガ色に染まりつつある。クリケは若いながらも自分の人生が落日のもとにあるような妙な哀愁を覚え、彼の気分も沈みだした。よくよく見ると、オルファルリアもツォルンも旅の疲れからか、心持ち沈んだ表情をしている。
「今日はここら辺で一泊しようよ。みんな、疲れたでしょ。ほら、焚き火にする枯れ枝とか枯れ草もふんだんにあるしさ。寝床を作るのは面倒だけどそれはいつものことだしね」
「ああ、別に急ぐ旅でもないからなあ」
ツォルンは肩が凝ったのか、気怠げに首元を手で揉みほぐしながらクリケにそう返事をした。オルファルリアは西の方をずっと眺めていたが、ツォルンに促されて彼も馬をおりた。三人は妙にしんみりとしたまま野営の準備を始め、例によってオルファルリアが袖から取り出した兎の干し肉が焚き火に焼べられて食べごろになる頃には陽はとっぷりと暮れていた。
いつものように、食事を終え、ツォルンはさっさと毛布にひっ包まって寝てしまった。オルファルリアは石板を取り出し、丹念に何かを読んではガリガリと文字を書き込んでいる。クリケは、今日は何となく眠りたくなく、何をするでもなしに膝を組み頬杖をついて焚き火から時折火の粉が舞い散る様子を眺めていた。
ふと、オルファルリアが顔を上げた。何だろう、とクリケが無邪気にオルファルリアを見返すと、オルファルリアがちょっと怪訝そうに眉をひそめた。
「クリケ、眠れないのですか?」
「え、いや。まあ、そうかな」
理由なんてない。世の中で起こること全てに理由があるなんてクリケには思えない。思いの外、今日はオルファルリアに腹が立った。そして、珍しくオルファルリアも苛々していたようで、初めて二人の間に緊張の火花が散った。一瞬だけだったが、オルファルリアの瞳の奥に冷酷な怒りの炎がよぎり、クリケは思わず怯んだ。そして、クリケの大事なおじいさんのことを思い出した。
「オルファルリア、俺の事、怒っているの?」
「何故です?」
ちょっとオルファルリアは気色ばんだが、クリケが心細そうに自分を見つめている事に気がつき、ちょっと狼狽したようだった。
「ああ、すみません。別にあなたのことを怒っているんじゃあ、ありませんよ。別にあなたはいつも通りで、特段、何も悪いことしてないじゃないですか。ちょっと別なことを考えていたんですよ。昔々、出会った不愉快な方々の事をね」
クリケはオルファルリアと初めてあった時にクリケに向かって言った何気ないセリフを思い出した。
(神は時に例外を作るのですよ、何が正しいかをはっきりと知らしめる為にね)
あの時は何とも思わなかったこのセリフが、今、ほんの一瞬、彼が見せた怒りの表情に絡み付き、クリケを不安にさせた。クリケのおじいさんも、クリケに彼と世間全般に対する憤激を語り、その後ド派手に彼の前から姿を消した。オルファルリアもおじいさんのようにクリケの前から去ってしまうのではないか、と思ったのだ。
「林檎、一つくれないかな」
少しの間、クリケはあれこれと思いを巡らせ、そんな一言をオルファルリアに投げかけた。オルファルリアはちょっと面食らったが、すぐにニッコリと笑い、袖から林檎を一つ取り出してクリケに手渡した。
「クリケ、あなた確かに成長しましたね。もしかしたら、どこかの神様があなたの事を見守っていて、いつの日か、あなたにこの林檎なんか比べ物にならないくらい素晴らしいご褒美を授けてくれるかもしれませんよ」
「突然、何を言い出すのさ」
クリケは久しぶりに聞いたオルファルリアの大げさな物言いにちょっと照れ、なんだか恥ずかしくなった。
「ほんと、俺も兎の穴があったら入りたくなるよ」
ちらっとツォルンを見たが、彼は毛布に包まって情けないいびきをかいているだけだった。
今晩は、風も雲も無い。それでいて、身体が芯から冷えるような冷気が漂い始めている。クリケはオルファルリアの手の温もりが仄かに残る林檎を両手で抱えながら夜空を見上げた。明星アルゼクスが西の方角に昇り、青白い光を放ち瞬いていた。
うかうかしているうちに、本当に穏やかな季節は過ぎ、再び厳しい季節がやって来る。今度は真夏の台風ではなく、全ての生き物がじっと地に根を張り耐えねばならぬ静寂の季節、冬がやって来るのだ。クリケはその厳しさを思い、知らず知らずのうちにアルゼクスに祈りを捧げていた。
2011年11月5日土曜日
呪いと奇蹟と祝福と 第二篇:大王国の瓦解
第十二話