近藤裕希のページ
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ティータイム
(なんでまたこんな所でお茶をしてるんだろう、私)
空飛ぶ馬車で極悪魔術師の許へ向かった筈だったが、今、マイランはこうしてローランチェリーの森の古城ウルフェンクでクリケの母親とささやかなティータイムを過ごしている。「うすのろユニコーンの考える事は分からないな」と思いつつも、ラライ・デュバルシーはクリケの知り合いとして彼女を歓待しつつも社会的秩序と人的道義に中々に手厳しく、ありきたりな世間に退屈していたマイランとしてはまんざらでもない気分で昼下がりのひと時を過ごしている。
「では、貴女は堕落した神人の許への旅を?」
「その筈だったんですけれどねえ」
ラライ・デュバルシーは、カップに少しだけ口をつけ、丁寧に受け皿にカップを置いた。そして、マイランが眉をひそめながら返した相槌に、女王は静謐な佇まいにひっそりと奥ゆかしい笑顔を浮かべた。
「ええと、なんて言うか。私ったら、文筆稼業が逼迫して来てまして。不調なんですよね。つまり、クリケくんの物語を執筆中なんですけれど、あの子の何を書くべきか段々分からなくなって来たんです。オルファルリア殿からあの子の色々な事について連絡があるんですけれど、最近、彼の人となりが様変わりしてしまったって言うんです。剣の使徒でありながら、その使命を放棄してるとか。まあ、破れかぶれになっているわけじゃないと言うんですけれど、私たちが描いて来た道筋から大きく離れてしまっているんです。たとえると、丁度、あの子が台風の目なんですよね。一見、平和に見える彼の身近な環境から一歩外へ出たら、土砂降り。でも台風の目はどこまで移動してもお天気なわけですよ。あの子にはこの自覚がない、という。喧々諤々だけが人生じゃないとは思いますけれど、遥かなる高みを目指して堂々たる一本の道を切り開いて欲しいんですよね。まあ、フィクションでもない物語に一貫したテーマの保持を求めるのは執筆する側のエゴかもしれませんけれど。あれ、何故カラ・コルムに会いに行くのかっていう理由にはなっていませんね」
「いいのですよ、それで。世の中は不条理な事ばかりで、カラ・コルムが昔から抱いている思想や思惑すら忌まわしいものとは言い切れぬというもの。彼だけじゃない、世の中のあらゆる者が世間に不条理を感じ、それぞれ自分なりの答えを持つもの。そうして自分自身と外界とのギャップを埋めようとするのが生きるものの摂理なのでしょうから。真理というものがあるとして、それを悟る者など居りはしないとわたくしは考えています」
「そうかもしれませんね」
マイランも紅茶を少しだけ口に含ませ、今、自分がいるウルフェンク城の高台から見える城下の町並みやそれを取り囲む城壁と森の木々を眺めてみた。無数の人々が住み、輝光石が随所に工夫を凝らして散りばめられ、整然と街並が区画された王都ラァフと比較すべくも無い田舎町ではあるが、マイランとしては特に都会信仰も無いので気にならない。ヴェイリン卿と権力闘争ゲームに興じていた時に住んでいた館も近くにある。そう思い、南南西の方角を眺めてみると、遠くに一本だけ屹立した大木が見えた。ゾラ・ファンダラだ。マイランは滝壺庭園でのクリケを思い返しながら、その大木を見つめていた。
「私にも真理ってものはよく分かりません。でも、ほら、なんて言うんでしょう。一見、意味が無いようなものや出来事にも意外に大切なメッセージが隠されている事とかってよくあるじゃないですか。クリケ君を救済するなんて事、そうした典型的な例だと思いません?よく考えてみると、クリケ君は別に救済せねばならない程、取り返しのつかない何事かを為したわけでもないし、理不尽な事件に巻き込まれて虫の息って状態でもないんです。ただ、息子さんは安寧の日々を送りたいと願いながら、そうやって暮らせる場所を探しているだけなんですよね。そりゃあ、本人は剣の使徒に憧れ、そうなってしまったからには、もはや自分の望む暮らしをするゆとりなど何処にも無くなったなんて思っているんでしょうけど」
「あの子は母たるわたくしと共にこのウルフェンクで平穏に暮らす事を望んでくれはしないのかしらね」
「私もそれが一番だとは思うんですけれどね」
マイランは菓子皿からジャムクッキーを一枚拝借しながら相槌を打った。そして、思うのである。世の中で生きて行く上で本当に大切なものって何だろうかと。身近な人々と愛し愛されながら暮らすのは無難な感じはするのだが、マイラン自身が気にし続けて来たように、何か物足りないのだ。生きるって、そんな事?マイランにとって「人を愛し、人から愛される」というルールは人生のルールとして不完全な気がしてしようがないのだ。「良い人だったらそれでいいってわけでもない」、あのみすぼらしい掘建て小屋の囲炉裏を囲みながら、クリケも自分のお爺さんの事をそうマイランに話していたではないか。
そっと草木の香りを乗せた清涼な風がマイランの首もとを吹き抜けていった。
ウルフェンクの古城への空の道をユニコーンが駆ける途中、この森を抜けたところに広がるハルヴァーナの平原を、空飛ぶ馬車に揺られながらマイランは見下ろしていた。そして、最近しきりと魔法使いのサロンで話題に上るハルヴァーナの旱魃の風景をこの目で確かめたものだった。慄然としたのは、ハルヴァーナの旧レード公爵領だけが旱魃に喘いでいるという事実だった。実際、この地方に包含されるこの森は旱魃でも何でもないごく平穏な天候に恵まれているのだ。マイランとしては、この災厄はラライ・デュバルシーが大いなる意思に望み、実現したのではないかと秘かに勘繰らざるを得ない。
「それはさておき、ですね」
マイランはハルヴァーナの困窮についてラライ・デュバルシーがどのような方策をもって望むのか確認しておきたかった。クリケがこのウルフェンクを目指して旅をしていて、いずれこの母親とも再会する。であるからこそ、クリケが立ち向かわねばならぬ両親にまつわる問題、すなわち、ハルヴァーナとローランチェリーの森との確執をどう乗り切るべきか、マイランはマイランなりに心づもりをしておかねばならないのだ。マイランとて、クリケに好意を寄せていると言えばそうなのだから。
「ハルヴァーナの支配者がですね、ええっと、オルファルリア殿からの情報なんですがどうにも大王国との間に大きな齟齬が生まれつつあるというんですよ。下々の民としてはそりゃあ生きるか死ぬかの瀬戸際なんですから禁を犯してでもローランチェリーの森にやって来て食料やら水やらを調達するんですけれどね。どうやらウルフェンクとも和解をしたいと考えているようなわけなのですよ」
広大なる森の女王は紅茶にミルクをたらし、スプーンで静かにかき混ぜ、しばらく無言でその渦を見つめていた。マイランもしばらく大人しく椅子に腰掛けたままだったが、突然、如何わしい考えが彼女の脳裏を走り抜けて行った。
ラライ・デュバルシーは既にこの世にはいない存在ではないか。クリケの本当の母親、生みの親ではないのではないか。クリケ本人の自覚は別として、彼が誕生して以来、あれ程魔法使いのサロンで話題になったクリケは人となりは平凡な少年だとしても、持って生まれた運命には数奇な要素が溢れる程ある。オルファルリアが勘違いしていたように、アルゼクスの明星の消失と関連があるだとか、遥かなる昔に、フォロ・パキシスの守護者アル・カトスが王国終焉の際に誕生する英雄としてクリケを予知していた事など枚挙に暇がない。不特定多数の人々が互いに確認せずとも気付かぬ内に一種の神秘的な関連性により同じ方向へと歩み、その結実としてクリケが生を受けたのではないか。
「そう、不特定多数なんですよ」
マイランはこの言葉を口にしてしまった事をすぐに後悔した。永年を生きる者たちは渇望するものを、決して公開してはならぬものなのだ。すなわち、己の思考の軌跡を示し、どんどんと心の底で考えている自分自身のよこしまな部分が暴露されてしまうキーワードだ。
「嫌ですね、私ったら。本当に嫌」
いつか歩いた彼女の人生の途中の道。後味の悪い記憶があれこれとマイランの脳内を飛び交い、ウルフェンクで焼かれた素敵なジャムクッキーにさえ罪悪感を覚えた。
(そろそろまた私も情緒の不安定期に突入したのかな)
自分こそが一番優れているという思い込みがある。有り体に言えばマイランにとってこれが現実なのだが、決して他人には明かしたくない彼女の本心の恥部でもある。本当はそうでもない事くらいわきまえているし、永年に渡る人生から彼女が学んだのは、孤高なる生き方こそ理想ではあるけれども、それは彼女らしい生き方ではない、というごく単純な結論だった。だから、毛嫌いするにせよ、会えばオルファルリアとも口をきくし、王都ラァフで未熟な文人たちの面倒もみている。
「遠い異国の地には風の国という国があるそうね」
突然、ラライ・デュバルシーが持ち出した話題に面食らい、マイランは彼女の顔をまじまじと見つめた。
「なんでも、立派に生来の使命を果たした人々の魂が集い、大空を自由に駆け巡る国であるのだとか。フォルクがよく私にその国のことを語ってくれました。彼はその国へ行けたのかしらって物思いに耽る日があるのね。それで私もいけたらいいなって思うんだけど、もしかしたら彼はそこにはいないかもしれないって不安になってしまうの。人なんてそんなものね、どれだけ深く愛していても心の奥底では信頼などしてはいないの。不確かな事しかこの世には存在しないんだわ」
「なんとも難しいお話ですこと」
マイランはラライ・デュバルシーの今の発言は聞かなかった事にしようと思い、失礼にならないよう気をつけながらほろほろと笑い声を上げた。女王も自分の告白が失言である事に気が付いたのだろう、気怠げに苦笑した。
「クリケくんのお母様。私、しばらく何も考えずに放漫な旅をさせて頂きますね。仕事も使命もちょっぴりお預け。仕事ばかりしているとですね、もう、どれもこれもどうなってもいいやって気分になる時があるんです。今がそうなんですね。現実逃避って奴です、恥ずかしながら」
女王はマイランの小狡そうな笑みを見て多少なりとも解放感を味わえたようで、その表情を緩ませた。
「働く事を主として生きねばならぬというのは大きな間違いですものね。好きな事をして生きるのが真っ当な人生というものよね。私はウルフェンクの統治者であるけれど、放っておいても民は皆なんとか暮らせていますもの。締めるところは締める、それだけね」
「でしょうね。でも、クリケくんは今どこをうろついているんでしょうね?こんな事が気になるって、私ったら本当は彼に恋しているのかもしれませんね」
女王は、テーブルに肘をついて黄金色の流れるような長髪をしどけなくかきあげるマイランの横顔を、そっと見守っていた。二人はどこかしら似ている、そう思ったのだ。
2011年10月30日日曜日
呪いと奇蹟と祝福と 第二篇:大王国の瓦解
第六話