近藤裕希のページ
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標榜
世界が大きく変わりつつある。ローランチェリーの森に帰還する旅の途中、野営地でクリケが寝静まってから、オルファルリアはズタ袋から石板を取り出し、魔法使いのサロンで交わされた議論の記録を読んだり、自分の見聞した事や意見などを刻む事を習慣にしていた。ツォルンはと言えば、野営地の木によじ登っては、そういうオルファルリアに「魔法使いの先生よ、今晩も夜空がイカしてるぜ。そんな根暗な便利石板なんぞうっちゃって気分転換しちゃあどうだい?文字ばっかり見てるとストレス溜まるだろ。ん、また蟻か。先生、虫除けのまじないを一つ頼むわ」などと軽口を叩く事を習慣にしていた。
オルファルリアは自分の人生を振り返り、鬱々と自分が抱える問題の解決法や未来への展望をシミュレートしていた。クリケと共に旅をする事で果たして本当に自分の心にポッカリと空いた穴を埋める事が出来るのかどうか。クロランティーヌと過ごしたあのお花畑の丘に戻るならば本当に自分の魂は救済されるのか。自分とは孤独な生き物であるという事実を受け入れられずに、現実から逃避する為に描きだしたあのお花畑の丘で。老人より手渡され、クロランティーヌに預けたあの夏草色の小石。
(全ては幻想なのかもしれない)
フィ・アレクトラスの谷を離れてからあまりにも時間が経ち過ぎていて、何もかもが夢のようだと思えてしまう。十五年前の奇蹟を起因として始まったクリケとの出会いと、こうして共に過ごす時間も、これから何十年、何百年と経てば、夢幻の記憶に過ぎなくなるのだろうか。その儚さを思いながら、石板に支離滅裂な文字を刻んでいる。「知性など糞食らえ、整合的な論理など失せてしまえ!」、そのような気持ちだった。十年が過ぎた頃には、クリケは生きてはいない運命すらある、そしてオルファルリアは死んで全てから解放されるに至る時はおそらくやって来ないのだ。
毎晩、この事を思いながら安らかな寝息をたてるクリケの寝顔を見つめてしまう。自分は一体クリケに何を求めているのだろう。意識の中で判然としない自分の過去の体験をゆっくりと思い起こしながらも、何処にでもいるような凡庸な少年クリケが何故こうも人を惹き付けるのだろうと訝しく思わずにはおられない。少なくともクリケは万人受けするタイプの人間ではない。だが、実際に彼のすぐ近くで生きていると、我知らず自分のふがいなさに歯痒くなる。それは、まさに、アルゲイ卿が感じた事そのものだ。
ローランチェリーの森で別れる前のクリケとこうして再会した今のクリケは随分と様変わりしている。別れる前のクリケはどちらかというと口数が少なく、暗い思い詰めた感じの表情をしている事が多かった。今は旅の道づれとなったツォルンと冗談を言い合ったり、鼻歌まじりで機嫌良く馬に揺られている事が多い。昔の暗い感じが払拭されている。多少なりとも経験を積み、少し大人になったのだろうかとも思う。
ナクサズの剣を放棄したクリケはこれから何を目標に生きて行こうとするのだろう。オルファルリアが自分自身にも問わねばならぬ問いでもある。クリケから剣の使徒がらみの案件を除いてしまえば、あとは白紙同様ではないのか。彼お気に入りの本、『セデンの魔法の書』はどうするのか。オルファルリアが知る限り、剣の使徒となった者がナクサズの剣を放棄した後の話は語り継がれていない。
懸念はもう一つある。クリケがナクサズの剣を放棄して剣の使徒たる事をやめても、依然クリケは亡き公爵フォルク・レード卿の息子であり、その帰還を待ち詫びる人々が数多いる、という現実である。リスト三世が崩御してからというもの王府内では権力闘争が激しくなっており、大王国統治がどうなるかは予断を許さない。だが、いずれにせよ、政情は不安定ながらも大王国内で屈指の富める領土であるハルヴァーナと王府との確執が致命的な決裂を生む日はそう遠くはないだろう、少なくともオルファルリアはそう予測している。クリケはその血塗られた道に不可避的に足を踏み入れねばならず、おそらくはその混迷のただ中で命を落とす。
こうした文脈の中でクリケにとって魔法に守護された穏やかな少年時代はまもなく終焉を迎える。しかし、それは、クリケのみならず大なり小なり誰もが通る道ではあろう。
2011年10月29日土曜日
呪いと奇蹟と祝福と 第二篇:大王国の瓦解
第五話