Midori oyama
 
 

おやまみどり です。

第2回目はわたくし尾山碧から皆様にお話をさせて頂きます。まずは、こんなお話から・・・。



~結成裏話~


もともとこの4人のメンバーで始める前に小さな出会いから始まっています。それはまず私と
中村友子さんとの間で運命的な出会があったのです。ある音楽大学の試験の日でした。緊張感のある雰囲気の中、待合室で隣の隣に座っていた中村友子さんが、気さくに話しかけてくれました。

でもそこで仲良くなって学生生活を過ごしたのではなく、実はそこから再び出会うまでには数年かかっています。


ある事がきっかけとなって私はアンサンブルのメンバーに誘われました。大学を卒業した年でした。そこで再び出会ったのが中村友子さんです。でもせっかく誘われたそのアンサンブルも紆余曲折あったのですが…、その後、私と友子さんはたまたま女性だけで組まれたサキソフォン・カルテットの演奏会を2人で聴きに行きました。そこで、女の子だけで真剣に室内楽を演奏している4人の姿が、とてもかっこよかったんです。その時口には出しませんでしたが、私たち二人の心の中では同じような思いが沸々と沸き上がっていたのだと思います。お互いのその気持ちをぶつけ合ったのはその演奏会の後日のこと、音大の図書館の前でした。夕暮れ時の薄暗くなった図書館前で私と友子さんで「女性だけのカルテットやってみたい!」と意気投合しました。



~私とトロンボーンカルテット~


私が高校生のとき、幸運にも現N響の吉川武典先生にレッスンをして頂いていました。そしてあるとき、先生からTTQの演奏会に誘って頂きました。石橋メモリアルホールで立ち見のTTQの演奏にものすごい衝撃を受けた事を覚えています。しかし、当時私の通っていた高校はコンクールなどには出ていなく、カルテットをやりたくても出来る状況ではなかったのです。そして、ちょうど高校3年生のときには、第1回のジパングのコンサートをすみだトリフォニーホールの大ホールに聴きに行き、またものすごく感動して、トロンボーンカルテットに対する憧れが、さらに増していました。


大学に入学し、カルテット曲を初めて音出したときは、とても嬉しかったです。私の通っていた洗足学園には、トロンボーン専攻生は約50人いました。そして、大学に入ってからはまた幸運にも、秋山鴻市先生につくことが出来ました。秋山先生には、カルテットのレッスンをして頂くこともありました。ときには、TTQの譜面を持っていって、レッスンをして頂いたり…。とても貴重な経験でした。


そんな中、大学は一緒ながらも師匠が私と違い、学年も一つ下だった、後のティンツのメンバーとなる小和田有希さんとは一緒にアンサンブルしたり、合わせをしたりと良くつるんでいました。(笑) だからティンツを結成するにあたり、私が呼んでくるメンバーは小和田有希さんしか思い浮かびませんでした。



~ティンツが動き出したのは~


そんなわけでティンツが誕生しました。女四人。結成当初まだ名前をつけていなかった頃、自分の手帳に「女子カル」って書いてました。(笑) 当初、とにかく集まって練習をして…と、本当に楽しかったですね。私自身、大学時代に秋山先生からTTQのカルテットに対する思いをたくさん聞かせて頂いていたので、どうせやるなら師匠に負けないくらいやりたい!って思っていました。


2004年に結成して、その翌年のことです。身内から話をもらって、初めてティンツとして東京青山のサロンで「海の日コンサート」に出演しました。じつは当時私は毎日ネットで「出演者募集」で検索しまくっていました。小さくても良いからとにかく本番をやりたくて…。小さなライブハウスでやる事もありましたし、教会でのクリスマスコンサートもやらせて頂きました。でも、大きく変わったのは2007年に出場した「ジパング・コンクール」の後からです。


ティンツとして演奏の依頼を受ける事が増え始めて、これは私たちにとってまるで夢のような出来事でした。今のティンツがあるのもそんな時代を必死に過ごして来たからだと思います。そして、今色々な方の前で演奏させて頂く事が出来て、とても嬉しいと思っています。でも、もちろんこれからも初心を忘れること無く、努力を惜しまず、たくさん合わせを積み重ねて行くつもりです。


私が、今本当に大切にしていきたいと思っている「宝」のようなもの、それはティンツの一人一人のメンバーです。この仲間と出会えた事は私にとって本当に幸せなことで、これからも4人で一緒に、一つ一つ階段を上っていきたいと思っています。

私たち「ティンツ」を是非応援していってください。


(写真上:都内音楽大学練習室、 写真下:南新宿イタリアンレストラン前)