2001年7月16日。ヒースロー国際空港
ニューヨークのJFK国際空港を発った飛行機は、約7時間後、ロンドンのヒースロー国際空港に到着した。ここからニューデリー行きの便に乗り換えて、更に約8時間。また窮屈な機内で長時間過ごさなければならないのかと思うと、一段と身体がだるく感じられる。
重い足取りで乗り継ぎ便の待合室に入った瞬間、わたしは独特の匂いに襲われて咽せ返りそうになった。さまざまなスパイスを滅茶苦茶に混ぜ合わせたような濃厚な体臭が、部屋いっぱいに充満しているのだ。
鮮やかな色合いのサリーを身にまとった女性、ダボッとした木綿の民族衣装、クルタ・パジャマを着た男性、あるいは山吹色や臙脂色のターバンを巻いた男性……。ここはまだロンドンだというのに、目に飛び込んでくるのは、もうすでにインド人ばかりだ。
わたしは肩からハンドバッグを下ろしながら、どさりと椅子に座り込む。ボトルの水をひと口飲み、大きくひとつ深呼吸をしたあと、疲労の糸を少しでも解こうと、こめかみや首筋の辺りを軽く押さえる。
傍らでは、わたしの生涯の伴侶となるであろうアルヴィンドが、隣に座っている男性と親しげに、わたしにはわからないヒンディー語で話をしている。
(それにしても、なぜ、わたしはインド人と結婚することになったのだろう……)
向かいの席で熱心に本を読んでいる女性の、その緻密なデザインが施された金のピアスが光を弾きながら揺れるのをぼんやりと眺めながら、過ぎ去った日々へ、思いを巡らす。
■ニューヨーク: 語学留学/1996年夏 ■
わたしが初めてニューヨークを訪れ、そして暮らし始めたのは1996年の春、31歳のときだった。それまでは東京で、フリーランスとして雑誌やガイドブックの編集や執筆をしていた。
海外取材に出る機会が多い上、休暇でも海外旅行をすることが多かったわたしは、自分のつたない英語力が不満だった。少しでも上達して、海外の人々とも深みのある会話をしたかった。
その前年に、英国で3カ月間、語学留学をしたが、英語は思うように上達しなかった。せめて1年間の勉強は必要だろう。そう思ったわたしは、生活する上でも刺激のありそうなニューヨークを留学先に決めたのだった。
渡米直後の1カ月は、語学学校が手配してくれた郊外の家庭にホームステイしていたが、翌月からは、学校で知り合った日本人の男の子をルームメイトに、マンハッタンで2ベッドルームのアパートメントを借りた。
そのころ、夕食後の数時間を、アパートメントにほど近いブロードウェイ沿い、リンカーンセンター前にある大型書店、バーンズ&ノーブル内のスターバックス・カフェで過ごすのが、当時のわたしの日課になっていた。アパートメントのリビングルームでは、たいていルームメイトがテレビを見ているし、そうでなくても音が筒抜けの狭い部屋で、他人と生活をするのは神経を使う。
だから、この状態を逆手にとって、わたしはできるだけ外出しようと心がけていた。滞在予定の1年間に、できる限りの英語力を身に付けたいから、語学学校の授業がある午前中以外にも、英語を話す機会を見つけるに越したことはないのだ。
その点、このスターバックスはなかなか便利な場所だった。いつも込み合っている分、相席になることが多く、その相手とおしゃべりが始まることが少なくなかったからだ。米国人は、日本人に比べると、ずいぶん気軽に見知らぬ他人に声をかける。相席になった人同士が世間話に興じるのは決して珍しい光景ではない。わたしはすでに3カ月の間で、数人の常連客と顔なじみになっていた。
映画監督の香港出身青年、脚本家志望のトリニダード・ドバゴ人の青年、かつてジャーナリストだった老齢の米国人男性など……。みな、このバーンズ&ノーブルのあるアッパーウエストサイド周辺に暮らしている。
彼らをはじめ、見知らぬニューヨーカーらと話すことは、英会話の機会をもてること以上に、会話そのものが新鮮で刺激的だった。年齢や性別、国籍を問わず、自分の目標に向かって努力を惜しまない人々に接することで、自分自身の行く末に、期待を持って望む気持ちがよりいっそう、育まれていった。
1996年7月7日、日曜日。その日は米国の祝日の中でも、最も盛大に祝される独立記念日(7月4日)の連休最終日で、その夜のスターバックスはいつもに増して込み合っていた。語学学校のテキストやノートブックが入った重いバッグを肩から提げ、片手にカプチーノのカップを持ったわたしは、どこか空いている席はないかと店内を見回す。
奥の方に、2人がけのテーブルで、書き物をしている男性の後ろ姿と、その向かいに空いた椅子が見えた。誰かに先を越されぬよう、わたしは急ぎ足でテーブルに近づく。
「失礼ですが……ここに座ってもいいかしら?」
テーブルいっぱいに資料を広げ、熱心に仕事をしていた男性が、ハッとしたように顔を上げた。
「もちろん。どうぞ」
彼は、にっこりと微笑んだあと、テーブルに散らばった書類を自分の方にかき集め、わたしに座るよう促したあと、再び仕事を始めた。
やや浅黒く、きめの細かい肌、筆でなぞったような太く濃い眉、丸みを帯びた大きな瞳、それに覆い被さるようにぎっしりと並ぶ睫毛、ぷっくりと厚い唇、耳朶が大きめの福々しい耳……。
(インド人? それともアラブ系かな?)
相席となった彼の様子を、相手に気付かれないよう瞬時に観察した後、バッグからテキストを取り出し、明日の授業の予習を始める。20分ほどもたったころだろうか。それまで脇目も振らず資料に目を走らせ、ノートを取っていた彼は、仕事の区切りがついたのか、コーヒーをもう1杯買ってくるから、荷物を見ておいてほしいと言って席を立った。
コーヒーを片手に席に戻ってきた彼は、人なつっこい笑顔で礼を言ったあと、わたしの手元を見て興味深そうに尋ねた。
「それは何ですか?」
「あ、これ? これは電子辞書。わたしは今、英語の勉強をしていて、これが手放せないのよ」
「あなたは、学校の先生?」
「いいえ、どうして?」
「なんだか、そんな雰囲気だから……」
これをきっかけに、二人は互いの簡単な自己紹介をした。彼はインドのニューデリー出身で、現在はミッドタウンにあるコンサルティング会社に勤めているという。
当時わたしは、ルームメートと共用の電話を使っていたせいか、さほど警戒することなく、出会った人たちと電話番号を交換していた。その日も別れ際、彼から名刺をもらったわたしは、特にためらうこともなく、文具店の自動販売機で作ったばかりの、自分の名刺を渡したのだった。
それまでも、何人かの人たちと連絡先を交換したが、出会った翌日に電話をかけてきたのは、彼が初めてだった。そのころのわたしは付き合っているボーイフレンドもおらず、気ままな身の上ではあったが、米国での滞在予定は1年間だったし、何よりの目的は英語力強化だったから、ボーイフレンド云々を積極的に考えてはいなかった。だから彼、アルヴィンド・マルハンから食事に誘われたときも、一度くらいならといいだろうと、ごく軽い気持ちで承諾した。
アッパーウエストサイドにあるミャンマー料理の店で、前回よりは少し打ち解けた感じで、わたしたちはおしゃべりをした。わたしの英語力を察して、彼の方も簡単な表現で話すよう努めてくれているようだった。その日は食事のあと、近くのカフェでコーヒーを飲んで別れた。すると、また翌週末にも、彼から電話があった。
「今夜、もし時間があったら、映画を見に行かない?」
二度目の誘いに、わたしは少々戸惑った。立て続けに二人きりで会うことに、少々抵抗を覚えたのだ。確かに感じのいい男性だが、頻繁に会うことで誤解をされても困る。
「ごめんなさい。今日はちょっと体調が悪くて、家でゆっくりしたいの」
そう言って電話を切った。これでしばらく連絡は来ないだろうと思った。ところがその翌週にもまた電話がかかってきた。一瞬、「またか」と思ったが、わたしの体調を察する優しい言葉に、自分が嘘をついたことへの少々罪悪感を覚えた。
「それで、この間の映画の話だけど……。ダウンタウンで日本の映画を上映しているんだよ。ミホは日本人だし、興味があるんじゃないかなと思って……」
余り自意識過剰になって断るのも妙だなと思い、もう一度くらいならばと、その週末、一緒に映画を見に行くことを約束した。リンカーンセンターの噴水前で待ち合わせたわたしたちは、地下鉄に乗り、その映画館があるダウンタウンに向かった。地下鉄の中で、アルヴィンドは映画の説明を始めた。
「これはね、古い日本の映画で、世界中で賞賛されたラブストーリーの名作なんだって。特にパリで人気を博したらしいよ。監督の名前はね……」
そう言いながら彼は雑誌の切り抜きをポケットから出す。
「ナギサ・オゥシマ」
(大島渚……? ま、まさか!)彼の手から切り抜きを奪い取り、わたしは記事を凝視する。タイトルは『In the realm of the senses』とある。過激な性描写のため大幅にカットされ、日本での初公開時には修正だらけで上映されたという、この映画は紛れもなく『愛のコリーダ』だ!
この映画が話題になった当時、わたしはまだ小学生だったが、1連の裁判沙汰は記憶に残っている。米国で上映されると言うことは、無修正の完全版に違いない。このインド人、屈託なくニコニコ笑ってるけど、わかっているのか?
「あのね、アルヴィンド。この映画はね、ラブストーリーには違いなんだけど、かなり濃厚でセクシャルなの。ほら、ここに実話に基づいたストーリーって書いてあるでしょ。この実話って言うのはね。主人公の女性が最後にね……愛人の身体の大事な部分を、ナイフで切り落とすのよ」
「オー・マイ・グッドネス! ミホ、冗談でしょ? そんなこと、どこにも書いてないよ。ペニスをナイフでカットするだって? オゥ……。そりゃひどい! どうしよう、ほかの映画にする?」
「わたしは別に構わないわよ。観たことないから興味あるし。でも、あなたは大丈夫?」
「僕? 僕はもちろん大丈夫。ミホが大丈夫ならOKだよ。取りあえず、見に行こうか」
ウエストヴィレッジにあるその小さな映画館は、込み合うはずの土曜日にもかかわらず、席は半分ほども埋まっていなかった。わたしたちは、少々緊張しながらシートに腰掛けた。
これまで何本もの映画を観てきたが、この映画を観たときほど、わたしは時間の流れが遅く感じられたことはなかった。大きなスクリーンに、これでもか、これでもかというくらい、常時大きく映し出される主演男優の局部。アダルトビデオを凌ぐ臨場感。最初はいちいち、「オゥ、ジーザス!」「オゥ、ノー!」と小声で反応を示していたアルヴィンドも、いつしか黙りこくってしまった。
途中で「大丈夫? 出ようか?」とわたしに耳打ちする。「せっかくだから最後まで観ましょう」とわたしは返す。
映画が中盤にさしかかった頃、日本人の若いカップルが、たまりかねたように席を立った。男性の方が日本語で、「なんなんだ! この映画は!」と悪態をつきながら、わたしたちの傍らの通路を早足で過ぎていった。その後を追うように、泣きそうな顔をした女性が通り過ぎた。彼らはきっと『愛のコリーダ』たる映画が、いかなる映画かを知らず「日本のラブストーリー」を見に来たのに違いない。気の毒なことだ。
映画館を出たあとのアルヴィンドは、自分がとんでもない映画に誘ってしまった罪悪感と、露骨な映像による衝撃とで、照れ隠しもあったのだろう、人が変わったように饒舌だった。ほとぼりを冷まそうと入った近くのカフェでカプチーノを飲みながら、ミルクの泡が口に付いているのも気付かずに、アルヴィンドはしゃべり続ける。
「ねえミホ、日本って、あんな国なの? ああいう世界が普通なの? 僕のイメージしている日本と全然違う!」
あからさまに動揺している彼の様子がおかしい。自分と同じくらいの年齢かと思っていたけれど、ひょっとして彼はわたしよりも年下かもしれない。そう思うと、興奮しながら、どうでもいいことをしゃべり続ける彼がかわいらしく思えた。
その翌週、アルヴィンドの誕生日だという8月9日に、わたしは初めて、彼の自宅へ電話を入れた。ロンドンに出張中だとは知っていたが、ハッピーバースデーのメッセージは残しておこうと思ったのだ。出張から戻り、メッセージを聞いた彼は、わたしからの祝福をことのほか喜んだ様子で、翌日、土曜日の朝、電話をかけてきた。ランチを1緒に食べないかと誘われたので、近所のレストランで待ち合わせることにした。
夏にしては風の涼しい爽やかなその日、わたしたちはリンカーンセンターの向かいにあるレストランのオープンテラスで、よく冷えた白ワインを飲みながら、パスタを食べていた。
「ねえ、それで、アルヴィンドはいくつになったの?」ボンゴレの、アサリの殻から身を取り外しながら、わたしは率直に尋ねた。
「当ててみて」
「うーん。27歳」
「ノー。それよりも下」
「えっ? じゃあ26」
「ノー」
「25」
「ノー」
「24」
「イエス!」
(えーっ、そんなに若かったの? 濃い顔だから年齢が判別できなかったよ)
「じゃあ、ミホはいくつなの」
いやだなあ。女性を聞くなんて。と思いつつも、興味があるのはお互い様だ。
「当ててみて」
「27」
「ノー。それよりも上」
「28」
「ノー」
「29」
「もうひと声!」
「30」
「イエス。でも今月末で31になるよ」
こうして2人は互いの年齢を知ることになった。7歳違いだった。彼の方がだいぶ年下だということがわかると、何となく気が楽になった。いい友達として、気軽に付き合えそうに思ったのだ。それからわたしたちは、何度か食事をした。
「僕は今、ミラン・クンデラを読んでいて、実存主義に興味があるんだ」
ある日、彼が真顔でそう言ったときには、まるで背伸びしたティーンエージャーを見るようで、吹き出しそうになったが、彼の純粋な性格は、言葉がうまく通じなくても伝わってきた。
数年前に母親を白血病で亡くした辛さを未だに引きずっていること、希望の会社に就職が決まり、去年からニューヨークで暮らし始めたけれど、仕事は予想以上に厳しくてストレスが溜まること、けれど親しい友人もおらず、少々心細く思っていることなど、心にわだかまっているあれこれを、会うたびに少しずつ吐露した。多分、わたしが「学校の先生みたい」な風情で、年上ということもあり、気取る必要がないと思ったのかもしれない。
わたしもわたしで、少々頼りなげではあるけれど、自分の信念を貫いて針路を切り開いてきた彼のバックグラウンドに感心した。おっとりとした雰囲気の中に芯の強さを秘めた、一生懸命な人だとも思った。
あるとき、アルヴィンドはヘルマン・ヘッセの『シッダールダ』を読むよう、わたしに勧めた。英語の本を読むのは苦痛だったので、ひとまず日本の文庫本を購入した。それは仏陀が悟りを開く前の、極めて「人間らしい」迷いに満ちていたころの物語だった。
語学学校の帰り、ホテルのラウンジでコーヒーを飲みながら、ひとり静かに読み進むうち、わたしは自分自身が、アルヴィンドに心を引かれはじめているということを自覚した。その後、数回にわたる会合を経て、わたしたちは、互いを友人以上に大切な存在として認め合うようになったのだった。
夏の終わりのある夜。わたしは初めてアルヴィンドのアパートメントを訪れた。60ストリート、アムステルダム・アヴェニューとコロンバス・アヴェニューの間にある、そこは52階建ての高層ビルだった。彼の部屋は14階だということだったが、その日彼は、まず屋上に連れていってあげるといいながら、エレベータの1番上のボタンを押した。
屋上への階段を上り、ドアを開ける。強い風が頬を掠めると同時に、闇にきらめく無数の光が目に飛び込んで来た。摩天楼の海!
「うわーっ! きれい!!」
全身に鳥肌が立った。このビルの屋上からは、マンハッタンの全景がぐるりと見渡せるのだった。間近に、暗い森のようなセントラルパークと、その向こうにアッパーイーストサイドのビルの群れ。ミッドタウンの方を見やれば、エンパイアステートビルディングも、クライスラービルディングも、そして遥か彼方には、ワールドトレードセンターも見える!
(ああ、わたしは今、ニューヨークにいるんだ!)
お腹の底から、熱い感情がぐっと込み上げてきて、胸の鼓動が高まった。ひと目で見渡せるこの小さな島。この小さな島の中に、世界中から集まってきた数え切れぬほどの人々が住んでいて、せめぎあうように生きている。無数の窓からあふれてくる街の灯が、生き物のようにゆらゆらときらめいて、わたしを包み込む。
(ああ、この街で、何かを見つけたい! わたしはここで、何かをつかみたい!)
熱情が、とめどもなく、ほとばしってきた。
心ときめかせながら夜景を眺めたあと、わたしたちは彼のアパートメントに向かった。彼は当時、2ベッドルームのアパートメントを知人の男性とシェアしていた。同じ2ベッドルームのアパートメントでも、わたしの住む安くて狭いアパートメントとは比べものにならない。玄関のドアを開け、窓の向こうに摩天楼の夜景が広がるダイニングルームを通過し、彼は自分の部屋のドアノブに手をかける。
「ちょっと散らかってるけど……」
そう言いながら開いたドアの向こうの様子を見て、わたしは絶句した。ちょっと散らかっているどころの騒ぎじゃない。それは、足の踏み場もないほど、激烈に散らかっていた。部屋の中心にあるベッドには、しわくちゃのブランケットが放置され、フロア一面に、新聞やら雑誌やら、衣類やらカバンやら、ともかくさまざまな物が散乱している。クローゼットの引き出しという引き出しは開け放たれ、各引き出しからは、衣類が流れ落ちる滝のごとくあふれ出し、今まさに泥棒に入られたばかりの様相を呈している。
わたしは基本的にきれい好きだが、他人の暮らしに干渉する方でもないので、「確かに、怖ろしく散らかってるわねえ」と言いながら、部屋を見回した。
「僕、子供のころから使用人が身の回りのことをやってくれていたから、掃除が下手なんだよ」
あくまでも屈託なく、悪びれもせず言う彼。これは上手下手を語る以前の問題だ。物には限度というものがあるだろう。腕まくりをして掃除を始めたい衝動に駆られたが我慢して、公共の場だからだろう、一応すっきりと片付いているリヴィングルームへ行き、ワインを飲みながら語り合った。
それから数週間後、わたしは彼の、その散らかった部屋に泊まった。わたしは放浪旅行で、汚い安宿や寝台車に寝泊まりした経験も少なくなく、度胸が据わっているのだ。翌朝、目を覚ました彼は、
「僕が朝食を作るよ」
と言いながら、起きあがった。
一抹の不安を覚えたわたしは、彼と一緒にキッチンへ行った。冷蔵庫を開けると……まぶしい! ガランとした冷蔵庫の、その光が煌々と照らし出しているのは、表面がしわしわにひからびたトマト半分、2センチほど芽の生えたタマネギ1個、そして半ダースの卵だけであった。
「これで、オムレツが作れるよね!」
そう言う彼の言葉を遮るように、わたしは黙って卵のパッケージを手に取り、賞味期限を確認した。そこには、わたしたちが出会う以前の日付が記されていた。
「ねえ、アルヴィンド。あなた、普段は料理するの?」
「ううん、しないよ。毎日、外食かデリバリーだからさ。ルームメイトも料理はしないみたい」
「そうだと思った。これね、卵も野菜も、もうだいぶ古くなっているから、捨てた方がいいよ。朝食は、外で食べようよ」
「そうだね。そうしよう! 隣のブロックのダイナーで、パンケーキでも食べようか?」
……とんでもない男と関わり合いを持ってしまったようだ。
彼と過ごす時間が長くなれば長くなるほど、わたしは「新鮮な発見」に驚嘆させられるのだった。学歴と職歴を鑑みるに、頭脳はしっかりしているに違いないのだが、しかし日常生活にまつわる常識的なことが、少なくとも日本人のわたしにとっての常識が、彼には著しく欠落していた。
あまりの部屋の汚さに業を煮やしたわたしは、アルヴィンドに部屋の掃除を提案した。彼にも手伝うよう促すのだが、「家事」という概念が、彼にはないようだ。ランドリーの乾燥機から取り出した衣類を、そのまま籠に入れて放置しているため、下着やパジャマなどが全般に亘り、ちりめん状の皺に覆われている。それらをまず、畳むところから指導した。しかし彼は、衣類はおろか、タオルすらきちんと畳めない。畳んではみるものの、四つ角がきちんと揃わず、だら〜んとしており見苦しい。積み重ねるとたちまち崩壊する。
わたしは幼児と向き合うような辛抱強さで、彼を傷つけないように、しかし厳しく、畳み方を伝授した。わたしは彼に、「放っておけない」という意味も含めて、引きつけられていたように思う。
出会って数カ月後、果たしてわたしたちは、一緒に暮らし始めた。彼のルームメイトが部屋を出ることになったので、わたしがそこに移ることになったのだ。2人で新しい家具を揃えようと、IKEAという安い家具がそろう店へ行き、本棚やタンス、ダイニングテーブル、ソファー、コーヒーテーブルなどを買った。米国では、リーズナブルな家具は組立式であることが多く、わたしたちが購入した家具も自分たちで組み立てる必要があった。
だから大量の家具がアパートメントに届いて直後、「僕、こういうの、組み立てたことないんだ」と、屈託なく彼が言ったときには、言葉を失った。それを先に言えよ先に!
しかし、家具を組み立てるくらいは簡単な作業だから、やってできないことはないだろう。組み立て方の説明書もついている。
「わたしは、このタンスを作るから、あなたは簡単な、コーヒーテーブルから作ってよ」
そう言ってスクリュードライバー(ねじ回し)と説明書を渡した。彼はずいぶん長いこと、その、非常にシンプルな図面に見入っていた。そんなに難解でもなかろうにと思いつつ、わたしはタンス作りを開始する。
「ミホ〜。このネジ、入らないよ!」
見れば彼は、スクリュードライバーを「反時計回り」に回している。
「アルヴィンド。スクリュードライバーはね。時計回りに回すんだよ。時計回り!」
わたしは残る全ての家具を自分が作ることになるだろうと悟り、ふんどしの紐を締め直す心境だ。
「オウ、シット!」
彼の声に振り返ったわたしは、目を見張った。そこには、テーブルの脚であろう部品で構築された、ユニークなオブジェが完成していた。あらかじめ、テーブルの4本の脚を台座に取り付けなければならないのだが、2本ずつが、天地逆になっているのだ。なぜ、そんなややこしいものを、敢えて作る? なぜ、できあがるまで、気づかない?
彼はその失敗作を再び解体するのに相当の時間を要し、わたしが他の家具をすべて仕上げ終わったころ、ぐらぐらのダイニングテーブルを仕上げた。彼の柔らかな掌に、大きな豆ができていた。
その夜、彼はインドの実家に電話をした。
「パパ、聞いてよ。今日は僕たち、家具を作ったんだ。僕はもう、カーペンターになれるよ!」
傍らで会話を聞いていたわたしは、砕けた。